2008年01月23日

投稿したら句読点がチャンとなってました

その事を、安明本にの名前でさっきコメントしたのですが、右の「最近のコメント」に表示されてない(今現在の話ですが)。だから、改めて本文として投稿しました。
标点符号的问题,已经解决了。现在试试用汉语拼音打字然后变换为简体字怎么样?猫
posted by 金春安明 at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

降雪お見舞い

内陸部からのお弟子さんお一人お休み。あとは、夜、ご近所の(ンー、ご近所といっても結構大勢いらっしゃる)駅の北側のかた。
ときに、今日の日記、原稿打ち込みの段階なのですが、なぜ句読点がド真ん中に来るのか?ちゃんと日本語入力モードにしてるのに。
中国の新聞・雑誌は簡体字で横組みで「標点符号(句読点)」は左斜め下寄せ。シンガポールの華字紙は簡体字を使ってるけど、標点符号がド真ん中なのが中国との差です。台湾は旧字、縦書きがタテマエで、標点符号もド真ん中。
面白いのは未だ簡体字が制定される前の1952年頃から、また、1956年の簡体字制定後も今日まで古典文学などで中国で出版されている旧字縦組みの印刷物。国民党時代と変わって、人民政府は標点符号を日本の様に右上寄せにしたのですが、日本では真中に書くのが普通の「?」や「!」までが右上寄せになってて、毛澤東著作の《論聯合政府》なんて、見てると版面が中々可愛いんです。革命現代越劇《半籃花生》は1974年に映画が製作されたんですが、登場人物が読んでる《矛盾論》は、当時すでに《毛沢東選集》の簡体字・横組みの本も大量に印刷・発行され、《矛盾論》の簡体字横組版も大量に出ていたはずなんですが、マ、登場人物は昔から旧版でシッカリと学習していたのだと解釈する事にしましょう。猫
posted by 金春安明 at 15:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月20日

『唐話纂要』と『半籃花生』

 江戸時代、享保年間に刊行された『唐話纂要』のルビは当時の杭州音と言われる。 
 この『唐話纂要』のルビが中古音の全濁音を保存している事は現代の中国の呉方言と同じである。
 但し『唐話纂要』は中古音のan韻(yan、wan、yuanを含む)やam韻を「ン」と表示していて、現代上海音の〔an〕の落ち=例えば「現在」という単語を上海音で「イーゼー」と発音するような現象は『唐話纂要』には存在しない。
 この『唐話纂要』における「anの保存」が、本当に当時の杭州音を写した物なのか、それとも日本漢字音や中国の北方方言の「anの保存」に引きずられた「机上の空論」なのか?その事は私の頭の隅に30年余り引っかかっていた。
 1974年、中国の文化大革命の後期、革命現代京劇に習って、浙江省で革命現代越劇『半籃花生(半カゴの落花生)』が映画化(なぜか撮影所は長春電影製片廠だが)され、全国で上映、放送された。
 先日、神田神保町の中国図書専門店で『半籃花生』のDVDを買った(今、中国は「改革開放」と「市場経済」の花ざかりだが、昔の物の復刻版も花ざかり)。
 古典越劇は本来、女優が男装をする日本の宝塚のような物だったが、革命現代越劇は男は男、女は女が演じている。
 言葉は、科白の部分は北京語の漢字の字ヅラを上海音で読んだ様な感じ、つまり、杭州語とほぼ同じに聞こえる。だから、「半」も「籃」も〔n〕があまり聞こえない。ところが唱の部分になると、〔n〕が聞こえる(別に、唱の部分だけ北京音で歌っていると言うわけではなく、中古の全濁音は保存しているし、「学」を「ヤ」、「斗」を「テウ」と発音する等、江南の発音の特徴も色濃い)。
 『杭州話音档』(上海教育出版社1998年9月)や『浙北杭嘉湖方言語音研究』(徐越著・中国社会科学出版社2007年5月)を参照しても、杭州語は〔E〜〕(エーの鼻化音)や、〔iE〜〕や、〔uo〜〕(ウオーの鼻化音)や、〔yo〜〕が、北京語のan、yan、wan、yuanに対応する。
 だから、江戸時代の享保3年=康煕57年=1718年に刊行された杭州音の教科書にanの発音が有っても問題は無いのである。
 話がまさに古今東西に跳んでしまい乱文失礼。猫
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2008年01月18日

『唐話纂要』巻五「小曲」の掲載場所

2007、1、17の「ウラン様」という記事の一つ前に在る「新発見か、そんなの常識か?」です。研究者の先生方のコメントを歓迎いたします。当方、学問は素人にて、雑な文章です。ご批判を渇望いたして居ります。どうぞよろしくお願い致します。猫
posted by 金春安明 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

ウラン様

さまざまなコメント、有難うございました。一気に拝見しました。尤もな見解と思います。それにしても、中学生に『故郷』は難しすぎると思います。中年にならないと本当の味はわからないと思います。40年前、学習院中等科だったか何処かで「中学生には無理だ」と誰かが言っていたような記憶が有るような無いような。あるいは大学の中国語の授業の時かもしれません。中国人の「ソコソコ美人のおばさん先生」でしたが、閏土をRuntuと言わず、Yuntuと発音していらっしゃいました。閏をYunと発音するのは、栄・融・容をyongと発音するのとは別のレベルで、山東や遼寧の人が“日本人”を“Yiben yin”と言うのと同じ理屈です。猫
posted by 金春安明 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新発見か、そんなの常識か?

岡島冠山の『唐話纂要』巻五の「小曲」は、その前後の文章のルビが杭州音系なのに、「小曲」の所だけ、なぜか南京官話系です。
 いきなり、そんなことを言っても何のことか解からない方が殆どでしょうから、以下に順々に書きます。
1、江戸時代よりも前の日本人にとって、学習の対象となる中国語は福建語の発音だったといわれる(私が卒論を書いていた1975年現在)。
2、江戸時代になって、福建音よりも浙江音が重視され学習されるようになった。岡島冠山の稿本『唐話類纂』と刊本『唐話纂要』がその浙江音で、「杭州音」とか「俗音」と呼ばれている。
3、ところがその頃、浙江音よりも南京の「官音」を正式と見るようになり、岡島冠山も二番目、三番目、四番目の刊本である『唐訳便覧』『唐音雅俗語類』『唐語便用』においては、浙江音ではなくて、南京官話音でルビをふっている。
 ここまでは多分、学会の常識だと思う。
4、さて、一月十五日、学習院大学日文科に行って、『類纂』『纂要』『雅俗』『便覧』『便用』を影印した『唐話辞書類集』を調べたところ、浙江音による『纂要』の中に「小曲」という俗謡みたいな物を集めた部分があり、そこだけが何故か浙江音でなくて南京官話音でルビがふってあることに気付きました。
 つまり、岡島冠山の最初の刊本たる『唐話纂要』は、第一巻から始まってほとんど全部が(後期増補の第六巻も含めて)浙江音なのに、第五巻の中の「小曲」は、南京官話の音系だという事に気付いたのです。昔は漫然と眺めていたので、“入声(促音)を「ツ」で表示せず母音一字の短音で表示する”という『纂要』式の表示に惑わされて、「小曲」も浙江音のように見ていたのですが、今になって良く考えると、「並・奉・定・澄・群・床・従」の類の字を濁音を用いずに清音で表示しているという事は、濁音を保存している浙江音ではなくて、濁音の消滅した南京音系なのです。(「日」の類の漢字は南京音系でもザ行で表示しますから、判別の手段にはなりません。判別の手段はあくまで「並・奉・定・澄・群・床・従」を清音で書く(南京)か、濁音で書く(浙江)かです。
 前後が浙江音の文章の中に「小曲」の部分だけが南京官音であるという事実が1975年以後の研究書に書かれているのかどうかはまだ1975年以後の研究書を調べてないので知りません。人に教えられたのではなくて、私が自分で気付いたのですが、多分すでにどなたかが同じ事を発表しているのではないかと思って、のぼせ上がらない様にしようとは思っております。
 それから、『唐話辞書類集』や私の卒論では『類纂』『纂要』『雅俗』『便覧』『便用』の順番で並べていたのですが、関西大学の奥村佳代子先生の『江戸時代の唐話に関する基礎研究』(2007年・関西大学出版部)では『便覧』を前、『雅俗』を後に並べています。両書とも南京官話音系なのでどちらが先でも大勢に影響は無いと、卒論当時は真剣に考えていなかったのですが、奥村先生が『便覧』を先にしていらっしゃるし、私の卒論を見返してみたところ、“『便覧』は始めの方は句読点が不備で途中から整備された形になっている”と書いてあり、『雅俗』に関しては句読点に問題は無いようなので、「不備が先で完備が後」というのが自然でしょうから、奥村先生のように『便覧』を先に持って来るのが合理的と思い直しました。猫

posted by 金春安明 at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

卒論出て来ました。

また失くさない内にコピーして先生や関係方面に見ていただくつもり。猫
posted by 金春安明 at 14:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月11日

金春安明“無所謂”日記

久しぶりに物置に入りました。理由は卒論探し。
明け方、関西大学の奥村先生にメールして寝たら、今日の午後、お返事を頂きました。
夕べの私の“酔眼朦朧・不謹慎日記”、『関西大学……オネダリ……』にも書きましたように、奥村先生の研究と、私の24ヶ月にわたる卒論は、題材が同じなのです。
そこで明け方、身の程知らずにも“私の卒論をコピーしてお送りします。”などとメールしてしまい(大学のパソコンに送信したので、明け方に先生を起こしてしまう心配は無し)、昼過ぎに先生から、丁寧なお返事をいただいたわけです。
四年生の秋、『唐話纂要』についてヤッツケ仕事で書いて見事に落第した「ボツ論文」と、二年目に研究対象を『唐訳便覧』に切り替えて、タイムスケジュールも練り直してヤットどうにか卒業できた方の論文と、去年の暮れまで一階の書庫に有ったはずが、無い!
アチコチ家探ししても卒論は出てこず。その代わり、中学の時、自分で試訳した『故郷』の単語帳とノートが出て来ました。「翻訳開始1967,5,12 翻訳終了1967,9,11   3−3,17  金春安明」とあり、中3の時の事と解りました。
問題の原文(文字改革出版社注音本・光生館複製発行の『注音中国語テキスト』)“我 想: 希望 是 本 無所謂 有,無所謂 無 的。”は私のノートには、今から見るとなんとも稚拙に“私は思った:希望とはもともと言わない所にあって,言わない所にはないのだ。”と訳してあって、もちろんこれではダメ。単語帳も最後は「眼前」・「展開」で終わっていて、「無所謂」は書いてありません。
1月8日のブログ『無所謂という言葉』にも書きましたように、当時は資料も貧弱でした。辞書の不備のほか、テキストも、1958年頃の「ピンイン」ローマ字制定まもなくの原本を1960年に複製し、1965年第6刷の物(1966、11、19 極東書店ニテ購入と記入してあります)で、中国の旧字体と簡体字が混ざっている上、ローマ字の声調表示が、1960年代以降の「原調表示」でなくて、「変調表示」(ピンイン制定まもなくの試行錯誤期の名残か)になっているなど、時代遅れなテキストでもありました。(変調表示のため、単語帳にも、辞書を引く時に迷ったり苦労した痕があります。)
「家捜し」のもう一つの収穫は 『岩波中国語辞典』が出て来た事。俗に言う「倉石辞典」。1963年9月16日第1刷発行 1967年4月20日第3冊発行。1969年1月9日に購入した物。
この「倉石」は今日でも価値を失っていない優れた辞書ですが、いま引いてみたら、ちゃんと、「wusuowei=無所謂 形容詞。雅・俗のランク:上の1(ラジオ・テレビ・講演などではなされることば)。訳文:格別どうということはない.例文:“ni shi zancheng a,haishi fandui?”“wo wusuowei”(「ni是賛成a,還是反対」「我無所謂」)=“君は賛成かそれとも反対か”“僕はどちらでも”.1963年に岩波はこんなすばらしい辞書を出していたのでした。この猫、表情が「無所謂」って感じで、私の趣味。猫
posted by 金春安明 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

関西大学の先生の著書をオネダリしてしまいました

関西大学は父が戦争中に海軍に徴兵される前に通っていて卒業した学校ですが、そこに今、関屋俊彦という先生(能楽学会会員狂言に詳しい先生)がいらして、去年、どういういきさつだったかは忘れましたが、私のほうから一方的に関屋先生に『江戸時代の唐話に関する基礎研究』の著者、奥村佳代子先生を紹介してください、というメールを送ったりしてたら、今日、奥村佳代子先生から『江戸時代の唐話に関する基礎研究』と、アジア文化交流 第2号(2007年)抜刷「長崎通事の唐話観――日本人のための唐話との比較において」の郵送が届き恐縮恐縮。僕の卒論と同じ材料を扱っていて、切り口がぜんぜん違う。でも私の知らないことが書いてあって、有意義な本。それにしても、音韻論抜きでこれだけ立派な本が書けるという事もショックだったし、私の卒論は処女地帯に足を踏み込み、何とか24ヶ月かけて卒業はできたものの、後を続ける人が有るはずも無く、いわば『古事記』の始めの方で幾柱かの神様が現れるが「独り神」のままお隠れになってしまわれるような状況が、「江戸時代の唐話」の研究状況みたいです。さりとて私がイザナギとなり……なんて心配は無用。奥村先生と私とは興味の方向が全然別で、尊敬と敬服の気は起きるが、幸か不幸かそれまで。金春流を愛し金春宗家にご心配くださる皆様、ご安心ください。猫
posted by 金春安明 at 02:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

訂正少々

『「無所謂」という単語』に引用した魯迅の『故郷』の文章、「故郷……無所謂有,無所謂無的」は私の記憶違いで『続き』のほうに書いた「希望……無所謂有,無所謂無的」のような原文だったみたいです。
また、岩波の訳は、「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。」で、さっきの私の引用は「もの」が二ヶ所とも落ちてました。
“「無所謂」=「どうでもよい」”という、ブログの論旨にはかかわりありませんが。猫
posted by 金春安明 at 01:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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