2007年12月17日

モスクワ駅、での毛沢東主席(改訂版)

 以前、『金春安明不定期日記』に書いた事ですが、「過去ログ」を捜すのも面倒だと思いますので、老いの繰り言として再び書きます。
1949年12月16日、毛主席はシベリア鉄道でモスクワ駅に到着しました。
 長い鉄道の旅で風邪を引いたため、ソ連側は気を使って「モスクワ駅は寒いから、歓迎儀式は簡単な省略形式にし、主席の講話も無しにして、講話原稿を新聞社に渡したら良い」と提案してきた、と、ロシア語通訳の師哲氏が回想録に書いています。師哲氏はさらに、モスクワ駅で実際にそのような省略形式がなされたと書いています。その回想録を見て私はビックリしました。
 なぜなら、私は以前から、その12月16日シベリア鉄道モスクワ駅の毛主席の朗読の声が入った映像をテレビ(日本テレビ=読売系列)から録画して、持っているからです。
その録画の毛主席の朗読内容は、当時の新華社通信の物(中国各地の新聞に配信された物)の末尾の部分です。寒いモスクワ駅、毛主席の息は白く濁っていました。通訳の師哲氏は毛主席から離れた場所に立って映っています。
 その事から私が想像したのは:
1、ソ連側からの提案は多分あったのだろう。
2、しかし毛主席は中国語で原稿を朗読した。、但し、ロシア語訳は省略となり、師哲氏は遠くに立っていた(写真や録画あり)。
4、それを1980年頃になって、晩年の師哲氏は、記憶ちがいで「同時通訳を省略した」という事実を「毛主席の中国語の朗読も省略された」と回想録に書いてしまった。
…以上が自然な推理想像だと思います。
 師哲氏の回想録の出版以前に出た、緑色の表紙の『建国以来…』という名前の毛主席の著作集には、新華社の前書き「毛主席は拡音機の前で…」というコメントが書いてあります。ちなみにこの『建国以来…』という本は(内部発行)と奥付や前書きに書いてあるのに、東京・神田の中国書専門店でもおおっぴらに売っていましたし、練馬区立光が丘図書館の開架閲覧の棚にも置いてあり、誰でも手にする事が出来ました。不思議です(20年ほと前の私の体験です)。
 さらにそれより以前に私は、25年か30年ほど前だったでしょうか、国立国会図書館に行って、1949年12月の香港の『大公報』を出してもらって、「新華社電」の「拡音機…」という前置き及び毛主席の朗読本文を確認したことがあります。
 師哲氏の記憶ちがいは老人の事だからしょうがないとしても、問題は、人民出版社から公開出版されている『毛沢東文集』です。かの権威ある天下の人民出版社から出版された『毛沢東文集』は、師哲氏の回想録に惑わされたのか、表題を『モスクワ駅での書面演説』としてしまっています。『書面演説』では、読者に、あたかも「朗読の代わりとして紙に書いた物」のような誤解を与えます。
 最近、毛沢東の一生とか毛沢東記実などの類が中国国内で多数出版されていますが、師哲回想録を鵜呑みにして「書面演説」「朗読省略」などと書いた物と、新華社電による「マイクロフォンの前で…」を活かした物とが半々です。ですが、トーキー映像の存在により、また、個人による後世の回想録よりも、当時の新華社電の方が記憶ちがいも少ないはずですから、結論として私は、毛主席は今から58年前の昨日、モスクワ駅で息を白く濁らせながら朗読をしたと考えております。(猫マーク)
posted by 金春安明 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

新華社 通信
Excerpt: 北朝鮮の金総書記、中国共産党幹部との会談で核合意履行を約束=新華社ロイター新華社が31日報じた。 それによると、胡錦濤国家主席の親書を手渡した王部長は、期限が2007年末に設定されていた核計画申告の履..
Weblog: 超最新NEWS
Tracked: 2008-02-02 20:53
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。