2007年10月30日

新しいパソコン

昨日、新宿にお姉ちゃん(私の長女)に連れて行ってもらい、新しいパソコンを買いました。納品は私が中国に行ってる間です。初期設定はお姉ちゃんにやって貰います。
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11月第一土曜夕刊なし

だから東京新聞の私の連載も11月は無く、12月第一土曜に跳びます。
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中国に行きます

能の講座をしに、6日から14日まで中国に行きます。その間、携帯のeメールも使えません。よろしく。
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2007年10月28日

でも携帯が有ります

携帯のウェブ機能を活用し『金春安明不定期日記』は続けますし、いろんな方々のサイトも拝見は出来ます。負けないぞ!(猫マーク)
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パソコン壊れました

私のパソコンへのeメールは読めなくなりました。10月25日以後のeメールは読んでません。24日以前のは読んでました。今後は、私の携帯のアドレスにeメール下さるか、または、公開されても良い場合は金春安明不定期日記にコメントの形で連絡ください。今、携帯から投稿してます。(猫マーク)
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2007年10月23日

貝原先生

貝原ゆういちろう先生。女子部に永くお勤めだったらしいが、私の頃は男子の高等科だった。生物を習った。「メンデルのえんどう豆」から始まって、優性・劣性、伴性遺伝、復対立遺伝、等等、よーく解るように教えていただいた。だから今でも私は血液型の遺伝の仕方は完璧に理解・実用できる。先生は顔が長く、三日月様みたいだった。ソ連がお嫌いらしく、ロシア皇帝がなぜ妖僧ラスプーチンに嵌ってしまったか、そしてロシア皇帝が堕落し、そこに付け入ったのが“職業革命家レーニン”で、スターリン時代に「メンデルの遺伝の法則」に反対した、政治優先のルイセンコ、と教えられた。あとで自分でよく考えてみると、中国の“大躍進・人民公社”の1959年〜1961年の「自然災害」はルイセンコの亜流の「ミチューリン(米丘林)農法」の影響が多いことに気付いた。反共といってもゴリゴリの右派という訳ではなく、事実に即したリベラリストで、柔軟な考えをする暖かい先生だった。先生の回想ばなし:女子部にいた頃、ある日、女学生が涙ながらに言うには「私は小さい頃に小児喘息で死ぬ苦しみを体験しました。小児喘息は遺伝するとのこと。私は自分の子供に自分が経験したような苦しみをさせたくない。だから私は結婚できません」と言って泣いて来た。先生は「小児喘息を引き起こす遺伝子はたしかに遺伝するが、子供の頃の生活環境に気をつければ、かならずしも喘息の発作が表面化するとは限らないから、気にせず結婚してよい」となだめて返したそうだ。それから数年後、彼女から手紙が来て「先生、その節は有難うございました。先生のおっしゃる事を信じ、結婚して、子どもも出来ましたが、喘息も起きていません」。それと、もう一つ先生のリベラルさを感じさせる話:1945年より前、人間の遺伝子の数が男と女で同じ数なのか違うのかに関して国際学会で論争があり、日本の学者は「男女で違う。調査で自信が有る」と主張していたが、実際は、XXが女で、XYが男、数としては同数が正解だった。日本の生物学者は満州かどこかで生体実験でもして自信を持っていたのだろうが、日本の学者の説は違っていた、とのこと。学習院の先生は概して「良心的自由主義」「実際主義」の良い先生が多いでした。中には「酒など飲んで、わざと頭をおかしくして何が良いのでしょうね。遺伝は恐いから、結婚する時には五代前までさかのぼって慎重に」などという考えの先生も大学にはいらっしゃったが(他所の大学からの非常勤講師だったのかも)。「燃ゆる火の炎中に死にて、また生るる不死鳥の如、敗れ寂びし廃墟の上に〜〜〜常照らせ、真理と平和」これが学習院歌です。猫
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2007年10月20日

昔の「先生」の記憶

私は1952年5月生まれ、一年生から四年生まで、練馬区立開進第二小学校に通っていた。ミト先生という先生がいらっしゃった。水戸先生か三戸先生かも覚えていない。年配の先生で、昔は怒鳴る、たたく(殴るのか平手打ちなのか知らないので、とりあえず関西弁の「たたく」という言葉を使っておく)だったそうで、私の頃は怒鳴るだけだったが生徒からは恐れられ、「ミットミット、ケツミット」という言葉が有った。チョビひげを生やしていらっしゃったのか、私の記憶ではヒトラーの顔とミト先生のお顔がダブる。「時代に取り残された人間」という感じだった。クラスの担任はしていらっしゃらなかったようだ。ある日、私のクラスの担任の先生がお休みで、代わりにミト先生が授業を受け持たれた。生徒は、私を含め、みな緊張したが、授業は意外にあっさりしたものだった。
 学習院中・高等科の美術の先生、「くまテン」というアダナだったから熊沢先生だったはず。ともかく言葉づかいが乱暴というか、マア、率直な物言いの、怖い先生だった。アメリカ議会の議長のように、木槌で机をガンガン叩いて生徒を静める。机は深く凹み、遂には穴が空いてしまった。作品の提出は必ず期限までに。未完成でも出せば点をくれるが、期限後に完成品を出しても零点。というのが特徴だった。お陰で日曜大工ぐらいの技術は習得した。大学卒業後、聖母病院の待合室で偶然お逢いした。私の妹が芸大の美校だと言ったら、とても喜んでくださった。
 大学の国文科の沢口先生、この先生の専門は楽府(がふ)という中国の古い通俗詩で、「正当」な絶句・律詩よりは気が効いてるはず。なのに、発音がメチャンコ、カタカナ中国語の上、中国語の命ともいえるアクセントがメチャクチャで、私はこの先生の発音を聴くのが苦痛で授業中いつもイライラしていた(あまりのひどさに記念に録音を取ってある)。ある日、教科書に「没有緊張阻喪之情。」という文章が有って、これは「必要以上に緊張(こわばる)する事もなく、だからといって、意気阻喪する事もなく…」という文脈なのに、先生は「緊張」を「積極的な良い意味」に解釈してしまったため「ちゃんと気を張って、その上、意気阻喪する事なく…」という、文法的にも無理な翻訳をなさった。私はたまらずに指摘したが、若い私が性急に言う事が、お年を召された先生には即座には理解出来ない。「そういう翻訳も可能ですね」と「紳士的」におっしゃった。とんでもない。「…も可能」ではなく、私の翻訳しか不可能なのだ。私はキレてしまい、噛み付くと、流石の先生も色をなし、「なんだ、君の態度は。紅衛兵と同じではないか」と仰った。二年生を終わる時、先生は
毎年の習慣とかで、生徒を湯島聖堂の本格的中華のコース料理に(多分先生の自腹で)お誘いくださった。文化大革命のさなか、孔子廟で中華料理というのも「時代に取り残されている」が、食事中の雑談で、岡村寧次を懐かしく話された。岡村寧次とは、「支那派遣軍」総指揮官で、戦後、蒋介石が国民党軍への見返りを打算してか、無罪釈放にして、それに対して毛沢東が猛反対の文章を発表し、『毛沢東選集』に現れる数少ない日本人の名なのだった。その頃は私もアキラメというか、丸くなっていたので、「紳士的」に「岡村寧次先生は御存命ですか?」と訊ねた。即座に御返事が有ったが、あとで人名事典で生存かどうかを調べたら、先生の御返事は事典とは違っていた。先生は悪人ではないのだろうし、民間文学の楽府の研究では功績があるのだろうが、カセットやMDも無い時代、しかも中国政府自体の標準語の方針が揺れていた混乱期、日本軍に占領された地区を廻っただけでは、何年いてもきれいな北京語の習得は無理だったのだろう。「中国人は大河のそばに家を作りませんネ。でも日本人は作りましたネ。ある年、洪水で、日本人の家はみな流されたましたネ。でも高
台に有った中国人の家は無事でしたネ。」とか、「北京語は上海や蘇州では全然通じませんでしたが、杭州は北方からの移民の都市なので北京語が半分ぐらい通じますネ。」とか、学問的に正しい事も希には仰った。普通の学生に対しては温厚な物言い。定年退官後は名誉教授というのも、今となっては、理解出来る。(しょうがなしに猫マーク)(なお、この投稿は朝一てすが、夕べ寝ないで書いたのではなく、かつて書きためていたのを今朝になって送信したまでです。(猫マーク)
posted by 金春安明 at 08:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

芭蕉

『芭蕉』は金春禅竹作なんで、覚えにくいこと覚えにくいこと。申し合わせ(リハーサル)ではボロボロでした。それから24時間、お弟子さんにも協力してもらって、なんとか当日は無事に行きました。でも、120分。あの日は長い能ばかり多すぎた。狂言も長かった。一日のバランスを考えるのも能の会を成功させる重要な配慮です。長時間、全部ご覧になった方、さぞお疲れになったでしょう。今後の課題です。猫
posted by 金春安明 at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月11日

鎌倉・シャックリ解決法

能楽師という「自由業=時間不規則業」をやっていて、最近、朝おきぬけに食事したりするとシャックリが出るようになりました。息を止めても水を飲んでもなかなか止まらないのです。解決法@濃い砂糖水を飲む。これは父が1971年春、アメリカで18時間しつこいシャックリに悩まされた時、ホテルのメイドさんが教えてくれて、一発で治った方法。……たかがシャックリとお思いになるでしょうが、舞台でシャックリでは仕事にならないのです。今月、私が地頭なのにしゃっくりが止まらず、まわりの地謡たちに、私にかまわずに謡ってと頼んで、皆どんどん謡ってくれたのですが、舞っているシテにはわかったようです。さて、鎌倉薪能初日は雨で中止。二日目は私は素謡『翁』。ところが中央線で新宿に行く時にシャックリが出て来ました。湘南新宿ラインに乗り換える間に売店でメロンクリームパン2個とアンパン1個を一気に食べたら、1971年の父と同じ効果か、止まりました。ところが鎌倉へ行く途中の車中でまた出て来ました。息子の憲和いわく:そんなときは、コップの水をさかさまから飲めば止まる。Aつまり、コップの手前に口をつけて飲むのではなく、コップの先の方のへりに口をつけ、深くうつむくように、頭と胸が逆様になるようにしてコップの水を飲むと良いのです。楽屋で早速やってみたら効果テキメン。無事、素謡『翁』を勤めることができました。あとでその話をしたら高橋忍(男)もその方法を知っていました。ところが雨が降り始め、ともかく行けるところまでやろうと言ってツレとワキが始めたら、段々雨が強くなってきました。高橋汎さんから対応を任されていましたので、出場直前の忍君に「昨日も雨で完全中止だった。今日は出来るだけ省略して、大蔵流の狂言も観世流の『葵上』もダイジェスト版でお客様に見てもらおう。シテは出たら直に“うたたねに……初めてき”と謡い、それを聞いて直にツレが“聞くに心も……”に跳ぶ」と言い、後見から地謡を通してツレに伝達してもらうように指示しました。それで、あんな短い『清経』となった訳です。大藏さん喜正さんにも少しずつ出て頂こうという私の判断でした。ところが皮肉なことに、『清経』の終わりごろから小降りになり、終った時は完全に止みました。進行表の通り、休憩20分。その間に舞台を拭いてもらっている頃は秋の虫が鳴きだし、『二人袴(ににんばかまではなく、フタリばかま)』、『葵上』は十分に演じていただけました。……その間のアタフタでまたシャックリが出始めました。今度は舞台そばの狭い楽屋でしたので、ペットボトルをさかさまになって先の方から飲みました。これでも効果がありました。雨の中で御覧くださった観客の皆様に御礼とお詫びを申し上げます。猫
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2007年10月08日

舌がモツレル夢(続き)

それにしても、さっきの夢は詳細de chou-jikan de tsukareta。筆談しようと思っても、手が自由に動かず字にならない。そこで、五十音表を家族に書いてもらい、それを指し示して意思表示しようとしたところ、家族は却って気を効かして「単語集」=「水がほしい」「食べたい」「通訳してほしい」「確認のため復唱」などを作って、それを指し示せばよいようにしてくれるが、言いたい事を探しても無い(これは悪夢の常だ)。そこで私は電話のそばにあった『住所録』を見付けて、その索引の五十音の仮名を指し示して意思表示を図るが、私が一文字指shi示すと、その文字で始まる単語を家族が勝手に「予測」してしまい、それが何れも私の言いたい単語に当らない。そこで私は「全文指し示すから、待っててくれ」という意思を伝えるのに一苦労。先まわりばかりしている「家族」とは、夢の事なので、父・母・妹たち(けっして家内や息子・娘たちではありません)。本田光洋さんも来客していて、とっても心配して下さった。その辺で目が醒めた……。今になって思い返せば、携帯メールの利用もパソコンのEメールの使用も、夢の中では出て来なかった(歳を感じる)。ちなみに私は通常、携帯メールは予測変換で、パソコンは全文字入力変換。Pasocom  no choushi ga warui to  Roma-ji no mama.猫
posted by 金春安明 at 17:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

明和の玄上に海青楽(続き)

『青海波』という名の舞楽は実際に存在した(する)のだろう。能の本文によく引用されている。「海青楽」は『広辞苑』には見つからなかった。その「海青楽」という単語は『白楽天』という、私の大嫌いな能に出てくる。『白楽天』は、内容はともかく、昔からあった能。その『白楽天』と思想を同じくする『明和改定本「玄上」』の改定者は、『白楽天』から「海青楽」という単語を借用したのだろう。永正三年本(室町時代)と伝えられてきたが実は江戸時代・明和頃の「玄上」(手書き本)と明和改定本『玄上』の関係、及び、通常の『絃上』に関しては、『催花賞受賞記念論文集』(東海能楽研究会・平成十九年三月三十一日発行)に中尾薫女史が書かれている。永正三年本「玄上」なるものが地拍子(リズム)の面からも明和であることは、小冊子『能』(京都観世会)今年の十号に味方健氏が寄稿されている。猫
posted by 金春安明 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

舌がもつれる夢1

今日の鎌倉薪能は雨天中止との連絡あり。楽しみになさっていたお客様には申し訳ないが、連日のお弟子への稽古・自分のリハーサル・本番……と疲れていたので、ともかく眠り込んだ。以前にこのブログで書いたかどうか忘れたが、私は時々「声は出るが日本語の発音ができなくなり、自分の意思を伝えられなくなる」という夢をよく見る。さっきの悪夢の場合も……自分の認識はしっかりしているのに、のどが渇き、唇がしっかりと閉じられなくなり、ほほの筋肉もコワバリ、舌も自由にならなくなり、言う事か相手に伝わらぬ。猫
posted by 金春安明 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月06日

なかなか

「なかなか」という単語の金春禅竹の使い方については味方健氏の著書で見た事がある。『芭蕉』の「なかなかに」がナカナカ出てこない、暗記が大変。(猫マーク)
posted by 金春安明 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

明和の玄上に海青楽

こんな事かいてる場合ではない。明日は『芭蕉』のシテ。家の先祖の金春禅竹作なので、文章がコリすぎで、暗記が大変なのです。海青楽については今度…(猫マーク)
posted by 金春安明 at 22:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

東京新聞にtsuki-ichi連載、10月6日夕刊から

初稿を昨日入れてヤレヤレ。tsuki-1.doyou-yuukan desu.ツキイチ、ドヨウ ユウカン デス。猫
posted by 金春安明 at 04:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 能と音韻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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